【私見】大人になったら、レターポット。

最近巷で話題の、レターポット。


ひがし、昨日、雨だったもので、にわかではありますが触ってみました。そこでの私見ですが、ちょっとだけ。


思い出したのは、小学校の授業

ガキの頃、郵便やさんごっこの授業がありました。

授業以外でも、休み時間の出来事などを綴ってもよくて、自分が嬉しかったことを友達に手紙にして届けようというものでした。
先生がひとまずみんなに同じ枚数だけ配って、あとはどんな人にどんな事を送ってもいい。そして手紙を貰えた人は、先生にその分新しく手紙を貰うことが出来ました。

僕は当時絵が好きだったので、友達にドラゴンボールの絵を描いてあげたらくれた、とか、そんな感じでした。他の子はサッカーのシュートを教えてくれたとか、算数を教えてくれたとか、えんぴつを貸してくれたとか。
中には自分が意識もしていない事を手紙にしてくれた子もいて、例えば『掃除をいっしょにやってくれた』とか、『いつも黒板をきれいにしてくれてありがとう』とか。そんなやり取りをしたことを覚えています。

不思議なもので、手紙をいっぱい貰ってる奴が風邪ひいて休んだりすると、そいつの代わりにノートをとってあげるとか、そいつが近所だから手紙を届けるのを立候補するとか、単純な恩返しのルーティンシステムが回っていたように思います。


これをこのまま、

『先生』=『運営様』
『生徒』=『ユーザー』

に置き換えると、微妙にズレもあるかもしれませんが、概ねすんなりと落ちていくと思いました。
『サービス』という概念ゆえ、運営様にお金を支払う事はあれど、その本質は先生からカラのお手紙を貰った事と似ていると思ったのです。要はその『郵便やさんごっこ』の仲間に入って、楽しめるか楽しめないかの違いなだけだと思います。


マネタイズのタイミングをずらせ(by革命のファンファーレ)

実はこれを書いているリアルタイムで、FBでキンコンの西野さんがレターポットの説明配信をされていました。
そこでも皆さん意見を出しあっておられましたが、ここでは『郵便やさんごっこ』と無理くり紐付けして語ってしまえば、楽しみでやってる事に換金は必要ないんだろうな、という風に僕は捉えました。


郵便やさんごっこでたくさん人に恩を贈った奴は、いざという時に誰かがノートを取ったりしてくれました。それこそがレターポットでいう所の価値であり、そういうレターを貰えたこれまでの行動自体が換金装置な訳です。

事実自ら起こしたアクションを元に、レターをたくさんやり取りしたという実績を軸にして、ファンディングに挑戦されている方もいらっしゃるとの事です。


時代が求める機能と真逆を行くから面白い


世の中のスピード感は恐ろしいと思います。
早く、安く、確実に、という価値観はどんなものにも共通してると思います。

LINEなんか既読スルーだのなんだの、顔を合わせりゃ何で読んだのに返さないの⁉なんて。
お客さんと飯食った御礼メールは24時間以内に!なんて、何となくルールになっていますが、お互いにそれがひとつの義務という認識で、有り難さなどをそこに求めるのは難しいです。

その点、レターポットはゆっくり、有料で、曖昧でも…と言う、真逆を行くつくりをしているのが魅力的です。
ユーザーに確実に手間をかけさせる仕組みですし、この独特の曖昧さも、独自の美徳やモラルを生む要素なんだと思います。

前項においての換金を求める方の思考は、早く、安く、確実にを求めると思いますし、郵便やさんごっこで言うなら、お礼の手紙じゃなくて何かお菓子買ってこい、あるいは僕手伝いしたから先生お菓子ちょうだい、と言うようなものだと思います。

でも敢えてお菓子の形をとらないことで、いつかどこかで何かの役に『立ち合う』という心構えが出来ます。
レターを『おくる』が『送る』でなく『贈る』なのも好きです。義務的な通信ではないのです。


どうやって役立てよう

指標のひとつとして、現実世界と結びつけを行おうと思ったら、西野さん自らのブログでもおっしゃっていましたが、サービス業の人は相性がいいかもしれません。あるいは個人的には、表現に携わる人。

僕は音楽をやっていて、まだ音楽で食える所には居ませんが、たまに出くわす対バンのお姉ちゃんとかが『ライブイン何月何日』みたいなCD-Rを連発しているとか、1枚いくらで生写真一緒に取るよみたいな光景を目にする度『アブねえな』と思ったりします。

目先のお金を得る事は出来ても、その人は自分の商品でなく、自分そのものを安売りしている様な気がしたからです。

ここにレターポットが噛めば、すぐには無理かもしれませんがファンの人が直接の文章のやり取りに価値を覚えてくれたら、その貰った『ファンレター』を使ってエゴサして見つけた一見さんに『逆ファンレター』を送ってゆくゆく仲間になってくれる方が、よっぽど純粋な評価の上で、可能性が拡がっていくと思います。(生活かかってんのもわかるんだけどね(^^;)


あとは、例えば18の誕生日に、親から子供に1000レターのプレゼント。
嬉しいし、それを元にたくさんの人と恩の贈り合い。
20になる頃には、『母ちゃんあの時の1000レター、やり取り数500000レターでこんなに仲間出来たから、俺ネットで呼び掛けて○○に挑戦しようと思うんだ!』なんて事になったら、素敵かな。

大人になったら、レターポット。
みたいな。


なんて事を思った昨日今日でした。
こんな記事を書いたのは、他ならぬ僕が全く知らない方から最初の3レターを頂き、西野さんご本人様からレターを頂いて、実際に貰って回すサイクルを体感できたからです。


色んな事を考えるきっかけになります。
相棒のゆーゆーにも、教えてあげようと思います。


※これを書いている時点でわたしの持ちレターは1でございます。良かったらレターを頂けると嬉しいです(笑)そういうオチです(笑)

東 ゆうじのレターポットはこちら
#レターポット
バンドもよろしくね。
持ちつ持たれつ、楽しくやれたらいいね。

ひがし

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