ひがし、同窓会にいく~専門分野に於ける『帰りの切符』の重要性~

週末に、中学の同窓会があった。


ちなみにこのくだりは完全にプライベートなので、写真はない。


70人くらい集まって、先生も何人か来てくれて、それはそれは楽しくだらだらと(10時間くらい飲んでた)過ごした。

そんな金があるなら音楽に使いなさいという方もおられるかもしれないが、これはもう結婚式の祝儀みたいなもんなので、勘弁してほしい。





さて、集まった70人の中で、おそらく間違いでなければ、ぼく以外、現在まで音楽に携わっている人間は皆無だった。皆それぞれの道を進んでいる。

子供ができた人。
出世した人。
躓いて転職する人。

なかには、まだ音楽やってんの?といってくる人。

結構『あの頃考えていた大人』になった友人が多く、音楽人がマイノリティであったりアウトローであるという事に改めて気付く。


思わず『ウルセー』と言いたくなることもあるが、実は簡単な話、そういう人達に対して作品を届けようとしているという事実は至極忘れがちであるという事に気づくのだ。


流行りの音楽、上手いプレーヤー、録音など周辺技術の進歩…ある種の自惚れも含めて自分が注ぎ込んでいく『専門的なるもの』に酔って、価値観を高めていく事はとても大事だが、価値観を『高める』事と『形成する』事はまた別で、ここでざっくばらんに『専門性=奥行き=z軸』とすると、時間や環境はxとyという平面上で確実に流れていて、世間の大多数の共通言語が、その平面上で共有されているという事に気付くことが大事であると思ったのだった。

つまり目的に差違はあれど、 同じ推進力aのベクトルで到達した地点がazなのか、y=axなのかは非常に大きな違いだし、z上の数値が拡大しても、xyに変化がなければ、つまり『取り残されている』という扱いになる。

そんな『取り残されている』音楽を誰が好き好んで聞いてくれるだろうか?


この際目標は『同級生が自分の子供つれてライブを見に来てくれる』にシフトチェンジして、やってみようと思ったわけである。
つまりいつでも、平面世界、みんなが普段いる世界に戻ってくる切符。
それは、自分を取り巻く社会とか、いろんなしがらみを主観的にとらえること。辛いことなんだけどね。


ポップス宣言です。
それが多分、皆の共通言語。

音楽が作られている現場でのみならされる音楽より、よりリアルに日常生活に溶け込んでいく音楽を、発信したいのだ。


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